中国の都市開発と環境デザイン
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中国進出の経緯

 

はじめに

長谷川

 今日は、 中国の都市開発と環境デザインというテーマで、 建築家であり昭和設計事務所の代表取締役社長でもある三宗さんにお話をしてもらいます。

 中国で、 すでに三十数か所のプロジェクトを手がけておられ、 色々なコンペにも参加・当選され、 活躍されています。

三宗

 中国へ進出している企業としては後発であるため、 私以上に中国で経験を積まれている方も多いと思います。 しかし今後、 中国へ進出しようと考えている方々に対して、 少しくらい役に立つ話ができるのではないかと思います。

 私の中国への進出の仕方は、 他の方々と違っています。 大手ゼネコンの役員さんと話をしても、 「とんでもない進出の仕方ですね」と言われます。 しかし、 私は正しい方法だと思っていますし、 現状においてはほぼ100%回収できています。

 私の信念を公表することによって、 日中間のより良い関係を築くことに貢献できたらと思います。


中国進出の最初のきっかけ

 昭和設計と中国との関係は深く、 大阪や福岡の中国総領事館の設計も担当しました。 しかし、 中国本土まで出向いて仕事をするということは誰も考えていませんでしたし、 私が中国に進出したいという話をしても、 なかなか賛成される状況ではありませんでした。

 10年前に上海の浦東という埋立地に新都市がつくられ、 国際空港が虹橋空港から浦東空港に移転しました。 その開発区における日中合弁事業の建物の基本設計に参画したことが、 中国へ進出しようと思った最初のきっかけです。


10年前の中国の印象

 10年前に中国に行った時、 想像以上に近代化が進んでいるという印象を受けました。 また、 戦後の日本の状況と酷似しているという印象も受けました。

 戦後の日本は、 相当のワル知恵も働く人が政治や経済を牛耳っていました。 10年前の中国はまさしくその通りで、 知恵と勇気がある者が時代をリードしていくという感じでした。 法律はあっても無きがごとしという状態だと思われました。

 例えば、 食堂で同じものを食べても、 中国人だと100円、 日本人だと1000円という値段になっており、 その差額は政府の役人の懐に入っていくという仕組みができているように思えるほどでした。

 人を欺くということについても、 巧みに欺けるということは知恵と能力があるという証拠です。 善悪は別として、 そういう連中がすごいのだという捉えた方をした方が良いと思われました。

 このような意味で、 経済的、 文化的にも産みの苦しみを味わっている状態だと思いました。

 10年前の中国には「混在の世界」でした。

 新旧の混在、 貧富の混在、 インターナショナルとドメスティックの混在、 トラディショナルとラディカルの混在です。 トラディショナルとラディカルについては、 ラディカルに流れており、 トラディショナルを潰す方向に向かっています。 これは現在も同様で、 「この古い町並みはなんとか残してくれ」と言っても、 「そこは潰して日本企業の倉庫のようなスーパーマーケットを建てる」と言われました。 とんでもない政治判断が横行しており、 情けなく思われることもあります。

 また、 急速なデジタル化も進んでいます。 それは、 段階的に進むのではなくアナログが即デジタルに変わるような社会です。 日本のような悠長な発展形態をとらないということも感じました。


中国の建設業界

 進取の気風の中で、 現在、 中国の建設業界をリードしているのは30代から40代前半の人たちです。 彼らの多くは、 日本やアメリカ、 カナダ、 ドイツ、 フランスなどへの留学経験があり、 開けた考え方をしています。

 1966年から1976年にかけて、 四人組が文化大革命を行いました。 その影響で中国には50代の優秀な人材がおらず、 60代から70代と、 30代から40代前半の人が建設業界を動かしている状況です。

 若手が引っ張っている中国の考え方は、 日本の建設業界よりもはるかに進んでおり、 民主的であると思います。 このことも、 私の中国進出のきっかけのひとつとなりました。


中国進出に対する考え方

 私は国力は人口で決まると思っています。 中国の人口は13億人です。 しかし、 全世界の華僑が戻って活動していることや、 一人っ子政策で登録できない子供がたくさんいることを考慮すると、 15億人くらいになるとも言われています。

 10年前に日本の企業が中国へ進出した時、 建設業界からも何社か進出しました。 その当時、 私は彼らと色々話をした結果、 その方法は間違っているという結論に達しました。 私は、 彼らが撤退する時にこそ本気で中国へ進出しようと思いました。 その方法では中国で根を張るような成功をすることはないと思われました。

 5年前に中国に進出したのは、 彼らがどんどん中国から撤退し始めたからです。 そんな時に進出するのは、 世の中の流れとは全く逆の方向で、 社内ではなぜ今ごろ行くのかということになりました。 しかし、 私は彼らとは違う考え方だからこそ入っていくのだと説明しました。

 安価な労働力を求めて、 コストダウンを目的として進出するのは間違っていると思います。 中国の人々を搾取するような気持ちで進出することは時代錯誤であり、 大きな過ちであると思います。 経済原則の下では多少は許されることかもしれませんが、 それを主目的にしてはいけないということです。 しかし、 15億人のマーケットという考え方は良いと思います。

 中国へ進出する際には、 中国人民の立場で考えなければならないと思います。 私は中国に進出するからには、 中国の発展に貢献したいし、 喜んでもらいたいという考え方で進出しました。 また、 日本は中国より少しは進んだ部分があり、 経験も多く、 先進国としてたくさんの失敗をしてきました。 私たちの役割は、 その失敗を中国で繰り返さないように、 一定のコントロールをしていくことだと考えています。

 日本は中国に対して、 南京大虐殺だけでなく、 多くの悲しい過去をもっています。 そのことは戦後生まれの私たちが知るよしもないのですが、 歴史としては残っているのです。 その歴史を無視してはいけません。 それらを踏まえた上で、 私は、 日中間の草の根の平和外交をしていきたいと考えています。 企業としては15億人のマーケットを考えますが、 個人としては平和外交を考えていきたいということです。

 政治家が会談をすることも必要だと思います。 また、 中国に行き、 歌ったり踊ったりという遊興娯楽による交流も必要だと思います。 しかし、 そのようなことで日中間の本当の信頼関係を再び築くことは無理だと思います。 信頼関係を築くためには、 自分の全財産をかけたビジネスを共同で行い、 真剣勝負をしていき、 それをひとつひとつ積み上げていくしかないと思います。

 そのためには、 ビジネスのあり方として、 純粋な民間ビジネスが必要だと思いました。

 ODAやJICAなどの日本政府や金融機関、 日本の商社等の後ろ盾をもって中国で仕事をしていくことは、 私はメインとしてはやらないという考え方です。 また、 日本企業の仕事だけを当てにして進出するのもやめようと思いました。

 何も保険を掛けずに進出するわけです。 それでは仕事などできるわけないし、 報酬も回収できないとみんなに言われました。 しかし、 10年前のやり方は私にはできないし、 私が中国人だったら受け入れられないと思います。 本音で仕事をしたいと思ったのです。


先達の意見を聞く

 しかし、 行ってもお金をくれないようなところで、 無料奉仕ばかりして会社を潰すようなことはできません。

 一番信頼できる三人の方に私の考えが本当に正しいかどうかを聞きました。

 一人目は経営コンサルタントの小林朗先生です。 中国の各都市の名誉市民や名誉省民の称号をもらっている方です。 この方は、 これまで何千人もの中国の若者をボランティアで日本に呼んで、 育ててきました。 現在、 その多くが中国で活躍しています。

 二人目は、 創価学会の名誉会長池田大作さんに随行されて北京へ行かれた当時青年部長であられた原田さんです。 日中国交回復は田中角栄さんがやられたと言われていますが、 その前に民間人として実質的に国交回復に積極的に尽力された方が池田大作さんとのことです。

 三人目は華井満先生です。 日中で朝陽貿易、 北京ホテルニューオータニなど多くの企業のオーナーをされています。

 この三方に私の中国に対する思いを伝え、 意見を伺いました。 すると、 三方とも同じようなことを言われました。 それは、 「中国は色々な修飾抜きの本来のビジネスを認めますよ。 周りがどう言おうと、 自信をもって行きなさい。 敢えて言うなら、 そういう考え方をしていなかった人が失敗したのです」ということです。 それで自信をもってスタートしようと考えました。


中国への再進出

 3年前に外資系事務所という形で上海事務所を開設しました。 しかし「昭和設計」という名前は、 太平洋戦争をイメージするという理由で拒否されました。 そこで、 上海を昔の言葉で「申」といったので、 「申昭和科技咨詢」という名前にしました。 設計事務所は相当の資本を投下する必要があるため、 当初はコンサルタント会社という形でスタートしました。

 改めてスタートするきっかけとなったのが、 山東省烟台市の港ターミナルと終着駅が合体した20haの地域の再開発国際コンペに当選したことでした。 計画が中心のプロジェクトです。


仕事の規模

 中国で私どもが手掛けている仕事の規模は、 小さなものでおおむね20ha、 一番大きなものは25km2です。 実現しなかった仕事ですが200km2までありました。

 先々月着工した河南省のショッピングセンターは、 敷地の長さが約3kmありました。 店舗数は日本では200店舗くらいですが、 中国では2万店舗入る予定です。 ショッピングセンターの計画でも最初に都市計画からスタートしなければならないというものが多いという状況です。

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