見る環境のデザイン再び
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4 変化をつなぐことによる景観の持続性

 

変化する市街地

 日本のまちでは、 社会・経済・生活などの変化によって、 建物は建て替わっていきます。 長い目で見れば、 京都でも、 何度も町の形や建物は変わっています。 したがって、 現在の市街地の変化も、 長い歴史的プロセスの中では一つの変化として捉えることもできるのです。

 

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京都のまちなかのマンション
 
 京都のまちなかにマンションが建っている様子です。 これは合法的に建てられているのですが、 景観破壊と思われる人も多いと思います。 一方、 大阪ではこれが活性化と言われるわけです。 住宅地では、 快適・安全になると言われるわけです。 その違いは何なのでしょう。

 活性化や快適性・安全性は悪いことではありません。 都市が元気に生き続けていくためには、 大切なことです。

 しかし、 活性化か町並みか、 快適性・安全性か町並みかという二者択一のように言われることが問題なのです。 調整の概念とは、 変化をつないでいく中で、 想定外の建物ができる時にそれを町並みとどのように折り合いをつけていくかだと思います。

 まちの変化をつなぐものとは何なのでしょうか。


敷地をつなぐ緑

 芦屋の特徴は塀越しに庭木がのぞく町並みや、 生垣が続いて山が見える景観です。

 近年、 マンションが建てられ、 建物が建て変わっています。 建物が変わると建物にあった外構に変わるため、 敷き際もオープンになり、 緑の出方も変わってきます。 このような変化は、 個々の家のレベルで見れば、 快適になり安全になっているのですが、 それが建ち並んだときにどう感じるかということです。

 

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芦屋の緑の変化1985→1998
 
 「緑豊かな芦屋」と言っても、 それはパブリックな街路樹の緑ではなく、 個人の敷地の緑によるものです。 つまり、 一つ一つの生活の中にある緑です。 家が建て替わっても、 そういう緑がつないでいく景観があるんじゃないでしょうか。 「変化をつなぐ」という時に、 住宅地では緑を手がかりにすることはできると思います。

 ただ震災の後、 緑はずいぶん減ってしまいました。 でも、 緑は育つものです。 少しずつではあるけれど、 最近はまた増えているんじゃないかと思っています。

 震災復興の建て替えの時は、 この際だからと敷地を目一杯使って建てています。 それでも建蔽率60%なら40%の余裕があると思われるかもしれませんが、 実際はかなり建て込んだものになります。 そうなってくると、 なかなか緑を植えることも難しいし、 駐車スペースのためにコンクリートで固めてしまうと、 土がないから緑が育つ余地すらなくなってしまいます。

 

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芦屋の緑の様子
 
 その結果、 緑は植木鉢やガーデニングというスタイルになって、 緑のかたちも変わります。 マンションになったとしても緑は育てることができます。 右の写真のように、 少しだけれども緑を植えたり、 オープンなスタイルの家でも蔦を這わせたり、 花を咲かせたりできます。 今までとは全く違うスタイルの家でも木を1本だけ植えたという例もあります。 そういう行為こそが、 変化をつなぐという意味で景観に関わっているのではないかと思います。


環境イメージで変化をつなぐ

 
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自分の好きな風景
 
 もう一つは、 環境イメージで変化をつなぐことです。

 この写真は震災後1年半ぐらい経ったとき、 居住者に自分の好きな風景を撮ってもらったものです。 空地があちこちにあって建て替えで地域が動いている時でしたが、 全ての写真に山が写っていました。

 例えば、 右の写真は最初「桜並木がきれいだ」と言っていたのですが、 結局は「その突き当たりに山があるから、 この道がいいんだ」と言われる。 臨海部の風景も、 最後は「ウチの娘は四国に行ったけれど、 同じように山並みが見えるから安心だ」という話になっていきます。

 もっと興味深かったのは、 その調査に同行した学生たちは「山」と言われてもちっとも反応しなかったことです。 私も同じ地域に住んでいますから、 「山」と言われるとすぐ共感できましたが、 学生にはさっぱり分からなかったんです。 つまり、 同じものを見ても環境の経験がちがうと景観の捉え方も異なるということです。

 そこで生活する人にとって「山」に意味があるわけです。 町並みとは、 そういうものではないか。 そんなことを強く感じる体験でした。

 

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復興公営住宅の景観ガイドライン(出典:災害復興住宅供給協議会1995)
 
 復興公営住宅の景観ガイドラインは「イメージをつなぐ」という点から、 とてもいいと私は思ったのですが、 残念ながらほとんど使われませんでした。

 「山・海が見え、 山風・海風が感じられるまちづくりにしよう」。

 ガイドラインとしてはこれで十分じゃないですか。 これが見る環境であり、 経験する環境であり、 そこから空間のルールも得られるものだと思います。 「山・海が見える」ということは、 町の人の環境イメージをつないでいくことです。 それを空間のルールに直せば、 建物に「抜け」「分節」を作って山が見えるようにするということになっていくんです。

 町と空間のつくり方はつながっていることが景観を考えるうえでのポイントだと思うのですが、 今のルールは建築物の形態についてだけです。 本当にそれでいいのかと思います。 もっと関係性を重視して、 空間をどう変えていくのかのルールを考えていくことが大切ではないでしょうか。 そういう意味からも、 このガイドラインはとても良かったと思うのですが。

 なぜうまくいかなかったのかを考えると、 我々の制度の世界では空間のルールという概念がないからだと思います。 建築基準法の中には、 空間の概念がありません。 集団規定と言っても、 それは密度の数字でしかなく、 空間を語っているものではありません。

 

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京都のまちの変化(出典:『職住共存の都市再生』小浦担当の図を修正)
 
 変化をつなぐもう一つの例として、 今度は京都の例を取り上げます。

 先ほども言いましたように、 京都では昔ながらの町並みの中にマンションがドンと建つ例が多くでてきています。 ただ、 京都の町の千年以上の変化を見ると、 もともとの町はみなさんが知る今の京都とはずいぶん違ったものだったことが分かります。

 図の緑枠部分がだいたい平安京の都城の範囲です。 当時は都の西側はほとんど市街化しませんでした。 室町時代から戦乱の時代には、 少し明るい緑色で枠どられた上京と下京が形成され、 室町通りで二つの町がつながっています。 町衆がつくった下京は囲繞され自立したまちでした。

 近世に入って二条城が建設され、 京都は城下町として再生されます。 ダイダイ色の御土居で囲まれた所が京都の町です。

 町自体もこれだけの変化をしてきたのです。 あわせて時代の技術、 材料とか時代ごとの流行、 その他の要素によって建てられる建物も変わってきます。

 現在、 古都としてみなさんがイメージする京都ですが、 多くは蛤御門の変で焼失しています。 今の町並みの多くは明治以降に建てられたものです。 ですから、 古い町並みと言っても建物自体が古いわけじゃないんです。 でも、 そこでの生活様式や町家の建て方、 家の集まり方やコミュニティの作法がずっと持続してきたという歴史があるのです。

 つまり、 建物がずっとあることが景観の持続ではありません。 日本の場合、 木造文化ですからとりわけそうなんだと思いますが、 ある様式であったり、 住まい方、 空間の型といったものが持続することが景観の持続だったのではないでしょうか。 町家も時代とと、 お変化し洗練されてきたのであり、 この生活空間の型を持続することも、 変化をつなぐこととして考えられると思います。 もっとも、 これは京都という土地柄だからこそ言えることですが。

 

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生活空間の作法
 
 京都の都心の古い町割の基本は120m四方の街区と両側町の敷地割です。 道に沿って町家が建ち並び、 家の奧に空地がとられています。 この奥の空地がつながっていることが、 街区レベルでの生活環境を安定させています。

 図は市内のど真ん中である釜座という所ですが、 今でも基本的にはこうした空間の型が残っています。 しかし、 建物が古いかと言うと、 そうでもありません。 つまり、 空間の型を持続していくことで、 環境の質も維持されているということです。

 先ほどのようなマンションは、 この町が持つ空間の型に合わないということです。

 多くの場合、 これを「高さ問題」と考えていますが、 私は高ささえ抑えればいいのかと疑問に思います。 ひょっとしたら、 多少高さは上がっても、 空間の型が維持できる方が町にとっては良いかもしれない。 そうした新しい建物がつながることで、 次世代の京都の新しい町並みになるかもしれません。 しかし、 残念なことにそうした議論は少なく、 マンション問題は「高さ問題」に還元されることが、 今の京都が抱える景観問題だと思います。

 

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町のしくみを無視する敷地設定の三つのタイプ
 
 マンションが問題なのは、 高さも問題ですが多くの場合複数の敷地にまたがってドンと建ってしまうことです。 京都の町会は道をはさんで向かい合う家々が一つの町内としてまとまっているのに、 マンションはそうした町会を貫通して建ってしまい、 二つ以上の町内会に存在することになってしまいます。 こういう建て方は、 長く町内地域を管理し調整してきた町の作法に合わないんです。

 京都では、 町内で町の全てのことを管理していくのが基本で、 隣の町内には口出ししないものです。 もちろん、 その前提には隣には迷惑をかけないということがあります。 ところが、 こんなふうにマンションには、 町内の管理の基本が機能しなくなります。 例えば、 些細な例ですが、 町内会費をどこに払うかということがあります。 今は正面玄関がある方の町内会に払っているそうです。

 私は町が変化することを否定はしませんが、 今までのつなぎ方の仕組みが機能しなくなったときは、 やはり地域に問題を起こしてしまい、 それが景観の問題として現れてしまっていると思います。 だから、 景観問題とは単に高さの問題だけじゃないんです。 環境とは見て分かるものだけれど、 それを作っているのは建物の高さだけでなく、 空地がどこにあるか、 どうつながっているか、 隣とどう関係しているか、 町にどんなコミュニティがあるのか等々、 それら全部が合わさったものが環境なんです。 ですから、 マンション問題は高さだけでなく、 町の生き方として捉え直すべきではないかと思います。

 とは言っても、 どうしてもマンションは高さが目立ちますから、 難しいんですけどね。


ルールと地域コミュニティ

 
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御堂筋の昔の景観
 
 最後に、 大阪・御堂筋の例をあげます。 ここも最近はすごく悩ましいところだと思っています。

 御堂筋のスカイラインがなぜ出来たかと言うと、 ある意味では偶然かもしれません。

 御堂筋は昭和9年に旧都市計画法に基づいて、 美観地区が指定されています。 ただし京都や倉敷と違って条例は決めていませんから、 制限はありません。 「これから都市美観を作る」という指定です。 当時は木造の町家や商家が建ち並ぶ町並みで、 御堂筋の整備とあわせて沿道を高層化させながら、 近代都市の町並みを作ろうという意思が当初の美観地区にありました。

 もちろん、 その構想はなかなか進みませんでした。 ところが、 図らずも戦災で町が全部焼けてしまい、 戦災復興を経て、 高度経済成長に街区ごとに敷地がまとめられビルが一斉に建てはじめられました。

 ちょうど御堂筋沿いにビルが建ち並んでいくころ、 商業地域内は、 絶対高さ31mの規制がありましたが、 同じ頃、 都市計画法の改正で、 絶対高さ規制31mから容積制へと変わることになりました。 容積制になれば高さはかなり自由になるのですが、 「御堂筋は31mで揃えましょう」という行政指導もあって、 スカイラインのそろった景観が出来たのです。

 この町並みはある時期のある経済状況の中で出来たものかもしれませんが、 ともかく一つの事実としてスカイラインの揃った近代景観が出来たのです。 よく考えると、 どこの都市でも一緒です。 ヨーロッパの古い町並みも、 その都市がもっとも元気だった頃の姿です。

 

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御堂筋の新しいルール
 
 ところがバブルの頃、 ある会社が31mの軒高では新しいオフィス機能のために階高を大きくすると容積が使い切れないので「高さ規制を変えてくれ」という要望を出したのです。 かなり性急な要求の結果、 今は図のようなルールになっています。 道路境界線から4m下がったところを壁面の位置とし、 高さは50mとしています。

 私はなぜこのルールになったのかが分からないのです。 なぜ4mセットバックで、 なぜ高さは50mなのか。 聞くところによると道路幅員と高さを1:1にしたそうですが、 なぜ1:1なのかがわかりません。 私はこのルールを決めた根拠となる説明をちゃんと聞いた覚えがないんです。

 スカイラインの揃った景観は、 ある時代のある経済状況の中で実現した町並みとしての意味があります。 日本の中で見ても、 近代を代表する景観だと言えると思います。 それが一社の要求であっさり規制を変えてしまう。 ルールを変えること自体は悪くないのですが、 その後どのような町をめざすのか十分議論したのかどうか、 それが疑問です。 もちろん、 この時建築学会も要望を出しましたが、 本当に大阪市民みんなで考えるような状況になったか。 このことを考えると、 私自身も反省するところです。

 そして結局バブルがはじけて、 直後は誰も新ルールのビルは建てなかったのです。 あれだけ「規制を変えろ」と迫った会社も建て替えはやめ、 ルールだけが残りました。

 今、 数棟の新ルールによるビルが建っています。 百棟が建て替わるには50年くらいかかるといわれています。 これほど時間がかかるなら、 バブルがはじけたときどうしてすぐに規制を元に戻さなかったのかと思います。

 しかし新しいルールによるビルが数棟できると、 かつてのスカイラインは失われもう普通の町になってしまいました。 それなら普通の町のルールの決め方であってもいいんじゃないかという気もしています。 何年先に実現するのか分からない50m規制にどんな意味があるのか、 むしろこうやって動いている町が船場にとっての元気と言うなら、 普通の町に相応しい考え方に変えてもいいかもしれません。

 私は、 バブル前の31m規制のままの町だったら、 それをルールとして守ろうと主張していたでしょう。 今あるものを守りつつ、 何ができるか、 何が経済の活性化になるかを議論しようと言ったと思います。 しかし、 それが崩れてしまった今、 何を言っても悩ましいのです。

 こういうことを考えると、 やはり町が変化してしまうときのつなぎ方をどうまとめていくか、 どういう風に町並みを位置づけていくかが重要だと思われます。

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