見る環境のデザイン再び
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質疑応答

 

 

司会(山崎正史)

 今日はずいぶん多岐に渡って課題を述べられたと思います。 中でも基本となるのは「まち」ということでしょうか。

 私は日本のまちが乱れている一つの原因は、 都市計画の中に「まち」の単位が抜けていることではないかと考えてきました。 つまり、 自分の町内が将来どうなるのかがさっぱり分からないということです。 それが問題だろうと思っていましたし、 そこが今日のお話と共通するところだと思いました。

 ただ、 語られたのは多岐にわたる問題で、 若い方にはちょっと難しかったかもしれません。 ではここで、 感想や質問を受けたいと思いますが、 いかがでしょうか。


公共的な空間の中の魅力要素--LRTを例として

土井勉(神戸国際大学)

 私は仕事柄、 土木的なことをするのが多いのですが、 今はLRT(新型の電車)をあちこちに導入するというお手伝いをしています。 その時「バスとどう違うのか」よよく聞かれるのですが、 私は交通機能面以外にも「バスよりも、 都市にいい景観を作ってくれるツールなんです」と答えるようにしています。 実際に市電が走っている風景はまちの顔として分かりやすいし、 子どもの絵でも市電はよく登場するんです。

 今日のお話は、 建物・道路・土地のあり方がメインでしたが、 公共的な空間の中に存在するものでも、 LRTのように景観にプラスになることがあります。 つまり、 みなさんが気持ちを共有する公的な要素としては、 もっといろんなものがあるんじゃないかと思いながらお聞きしました。

小浦

 質問してもいいですか。 バスは景観にならないけど、 LRTはいい景観になるとおっしゃいましたが、 それはなぜですか。

土井

 デザインのいいバスもありますが、 バスはどこにでもあります。 しかし、 鉄軌道の上を走り、 停留所があって、 デザインのいい市電が走っていると、 風景にインパクトがあります。 みなさんも実際に目にすると、 そう思われると思いますよ。 それに鉄軌道は地図に路線図が載っています。 路線の位置がわかりやすく、 どこへ行くかも明確ですから、 誰もが利用しやすい公共交通になると思います。

山崎

 確かに電車の方が風景になっているなと私も思いますが、 今の説明はちょっと納得しにくいですね。 これから考えなくちゃいけないと思いました。


基準の意味、 基準と裁量

難波健(兵庫県)

 今日の話は、 基準を守ることとアンチ基準の話だという捉え方で聞いておりました。

 建築基準法は最低基準だとされていますから、 いかに守るか、 守らせるかに意義があります。 開発許可もイギリスのプラニング・パーミッションの制度では担当者や場所によって裁量権がありますが、 日本ではみんなに平等に同じことを守らせることが、 よいまちづくりになるという考え方で運用されています。

 ところが、 例えば道路が4mだと定められていたとして、 なぜ4mなのかという説明が全くないまま守らせているのが日本の現状です。 もしそれが意味のないことだと認識したら、 その時点でアンチ基準みたいな気分が出てくるんじゃないかという気がします。

 じゃあ、 どうすればいいのかという話になるんですが、 その辺はいかがでしょう。

小浦

 私自身は基準・アンチ基準というふうには捉えていないんです。

 今の基準法で示されているいろんな数値は概念的には最低基準と言われていますが、 実際にはそう機能していません。 たいていの場合はそれを実現すれば必要十分な最大基準として扱われています。

 また、 最低基準の数値に意味があるのかどうかを議論していてもしょうがないと思います。 それよりも、 その基準で何を実現しようとしているのかが問題だと思うのです。

 道路幅4mで安全を目指すのか、 延焼防止なのか、 家への採光なのか。 実現したい何かがはっきりしているときは、 それを実現する方法として選択肢がいくつも用意されているべきではないかと思いますし、 それぞれの地域が選べるようにすべきだと考えます。 実際、 今は集団規定について性能規定も含めてずっと議論されてきているわけです。

 ですから、 今ある基準が意味がないからアンチ基準という考え方ではなくて、 いったい私たちはどんな質を求めているのかと問いたいわけです。 しかし、 それすら共有できてない社会状況の中で、 最低基準にとりあえず意味があるということじゃないかと思います。

山崎

 難波さんのお話には二つの観点があると思います。

 一つは、 今小浦さんがおっしゃったように、 何をしようとして基準があるのか。 基準の意味を景観の時代に合わせて見直す必要がありそうです。

 もう一つは、 ルールで行くのか裁量で行くのかということです。

 「裁量」とは、 担当係官がその時の個人的な判断で、 善し悪しを決めていくことですが、 小浦さんのお話に出た「山風・海風を感じる街」のガイドラインがなぜうまくいかなかったのかというと、 私は裁量の伝統がなくなってしまったからだと考えます。 江戸時代にはありましたし、 京都の風致地区も戦前までは裁量でやっていたのですが、 民主主義が進むうちにいつの間にか裁量は民主主義に合わないという考え方になってしまったようです。

 これは民主主義というよりも、 日本人は隣の人には許可を出しておいて、 自分のとこはダメだというのは絶対認めないということです。 戦後は何事も結果はどうあれ「横並び」の平等ということになったのでしょう。 ヨーロッパの人に日本のルール至上主義を言うと、 逆に「そんなことでまちづくりができるのか」と驚かれるのですが。

小浦

 今回の景観法も裁量ができるようになっていますが、 自治体は裁量をやりたくないんです。 元気を出さないと、 裁量はなかなか使いにくい手法です。

 例えば、 「市長認定」というのがありますが、 その時の基準はかなり曖昧でもいいわけです。 「周囲と調和する町並みであること」だけでもいいわけです。 でも本当にそれが出来るかというと、 担当者はそこでウッと詰まってしまうんです。

山崎

 もめながらやっていくうちに段々と常識が出来上がっていくでしょうが、 その間の行政の窓口の人はつらいでしょうね。

小浦

 それを支えるのが私たちでしょう。 みんなが「それはいいね」と言ってあげないと、 行政だけでは耐えられないと思います。


なぜ「町並み」ではなく「いえなみ」という言葉なのか

水野(リバー産業)

 山崎研究室を出て、 今はディベロッパーの会社で働いています。 ウチの会社でやっていることに通じる部分が沢山あったので、 今日は大変面白く聞かせていただきました。 特に「いえなみ」という言葉に、 ああそうだと共感しました。 「町並み」ではなく、 なぜ「いえなみ」という言葉を使われたのでしょうか。 そのきっかけをお聞かせください。

小浦

 「いえなみ」という言葉は、 長田駅北地区で使っている言葉なんです。 なぜ「いえなみ」かと言うと、 震災で町が焼失しているところから始まっていますから、 「まちがないのに、 町並みという言葉は使えない」という気持ちからです。

 つまり、 手がかりがない状態でまちづくりを始めないといけないことから生まれた言葉です。 みんな家をなくしていますから、 建て替えなくちゃいけない。 しかし、 経験した方は分かると思いますが、 いったんなくなってしまうとそれ以前がどうだったのかイメージは思い出せるけど、 具体的な姿形が分からなくなってしまうんです。 「こんな感じ」と言われても、 それでは聞く方が分からない。

 そういう中で一つ一つ家を建てていって、 町並みを育てていかなくてはいけない。 家がつくっていく「いえなみ」を作っていくことから始める、 だから「町並み」という言葉を使わず「いえなみ」という言葉を使おうと決めたんです。 だから、 そのうち町の姿が見えてきたら「町並み」という言葉になっていくかもしれません。


時間軸もガイドラインに入れるべきでは

長町志穂(照明デザイナー)

 私は照明の立場から町に関わっていますから、 どうしても夜の景観に関わることが多いんです。 ほとんどが名もない普通のまちからの依頼で、 そこのコミュニティグループ(神戸だったらまち協)から頼まれることは、 大半が「安全性に問題があるから照明を変えたい」とか「淋しい環境なんで何とかして欲しい」など、 すでに「困っているから何とかしたい」という状況ばかりです。

 例えば、 しっかり都市計画がされていた所でも木が繁りすぎて照明が隠れてしまうので、 木を切り倒して照明設備を新たに付け直すということがありました。 そんな仕事をしていると、 なぜ夜の時間軸の計画を最初から取り入れないんだろうと思って、 とても悔しいんです。 照明デザインと防犯灯は違うものでしょう?
 最初から夕方以降の時間軸のこともガイドラインに入れるとか、 個々の家に付ける照明も植栽と同じように何かルールがあったらと思いますが、 その辺はいかがでしょう。

小浦

 確かに夕方以降も含め1日の時間軸とか、 もう少し長いスパンの時間軸で木が大きくなることを考えるとか、 古びるということも含めて、 時間軸によって環境の見え方は変わってくると思います。 また、 どういう風にまちを使うか、 つまり洗濯物を家の外に干すかどうか、 車をどこに置くかなど、 いろんな要素で見る環境は変わります。 それを一つの景観として捉えるならば、 おっしゃるように時間軸も一つの大きな指針であると思います。

 今までは、 2次元的な景観の捉え方から少し進めて、 認識する、 経験することから景観のまとまりを捉えられないかを調査しています。 しかし、 それでもあるいっ時の断面に過ぎないんです。 同じ場所でも、 朝・昼・晩では表情が違いますし、 東西道路と南北道路では陰のあり方が違うから見え方も違います。 光が変われば色も変わることもあります。 確かに時間軸がガイドラインに必要だというのは、 おっしゃるとおりだと思います。 だけど今はそこまで考えるのは、 無理かもしれません。

山崎

 さっき小浦さんがおっしゃった「変化をつなぐ」という話で気がついたのですが、 基本的には空間的な変化をつなぐということですが、 それは一方で時間の変化をつなぐということでもあります。 明治時代の町並みと現代をつなぐというお話でもあったと思います。

 今、 長町さんがおっしゃったのは、 もっと短いスパンの時間のつなぎの話で、 そういう課題も確かにあると思います。 私の研究室の卒業研究で、 まちの風景を夜明けから日の暮れまで写真に撮って、 みんなに評価してもらうというのがありました。 そうすると、 面白いことに時間によって評価がずいぶん変わるんです。 我々は町並みの形とか、 物体色にこだわることが多いのですが、 時間によってものすごく色が変わるし、 それにつれて評価も変わる。 ただ、 そこまで議論することってあまりないですね。

小浦

 研究的にはやっているけれども、 それをルールにするまでには至っていないのが実情です。

山崎

 さっきルールの意味についての話がありましたが、 研究ではっきりさせるのは難しいようです。 私も条例作りに参加したことがありますが、 学会でデータが出る前に決めてしまわなくてはという状況になっています。 学会の結果を待ってられないということです。 世の中って、 だいたいそんな風に動いていることが多いのです。

小浦

 それでも、 その後何かあったときにすぐに調整できるような仕組みがあれば問題ないんですが、 今は、 1回決まってしまったら変えにくいようになっているのが困ります。

山崎

 裁量と一緒で、 日本人は1回決まって従ったことなのに変えられると腹が立つという風潮があると思います。 そんなところから変えていきたいところですね。


電線地中化事業の進め方について

弓場(中小企業診断士)

 中小企業診断士という仕事柄、 商店街によく行くんですが、 最近奥さん方がガーデニングをやっているのを見かけることが多くなりました。 それは良いんですが、 せっかく奇麗にしても上を見上げると電線がいっぱい張り巡らされていて、 空間が寸断されている感じなんです。

 最近は電線の地中化事業も話題になりますが、 思うように進んでいません。 詳しい人に話を聞くと、 かなり時間がかかるだろうということなんです。 一方で景観が集客のための大きな要素になっているというのに、 商店街や生活空間に住んでいる人たちはそうした事業に口を出せないというところがあります。 電線地中化は、 行政・事業者・地域の三者共同でやる事業なのに、 計画やルールにしても事業経過にしてもなかなかオープンになっていないのです。

 先ほどルールか裁量かという話がありましたが、 そうした話が住民にも分かるようにオープンになれば、 地域の人々も景観を考えて事業はもっと前向きに進むんじゃないかと思うのですが、 いかがでしょうか。

小浦

 今日お話ししたことは、 別の言い方をすれば建物(プライベート)空間と道のようなパブリック空間とのつながり方を考えたということです。 ただ、 今日はパブリックな空間の作り方についてはお話していません。

 パブリックな空間について言うと、 例えば舗装一つ変えるにしても、 今出来ているものを変えるのはパワーがいります。

 おっしゃるように電線地中化は、 今どこの町でも共通の問題です。 これまでは「地中化するには電柱にするより事業コストがかかるし、 管理費もかかる、 だからそれに見合うだけの沿道の電気需要があればやる」と言われてきました。 普通の民家ではそれだけの電気需要がありませんから、 どうしても住宅地などの小さな所では進まないのが現実でした。

 だけども今は景観にとって電線は大きな問題だという認識がみんなの中に出来つつあります。 いくらいい環境を作っても、 上が電線だらけだったら何にもならない。

 その時に地中化するという選択もありますが、 それ以外にも道をまたぐ線だけをはずす方法や、 歴史的市街地でやっているように敷地の後ろ側に電線を入れていく方法、 あるいは建物の軒を這わしていく方法もあります。

 地中化を目的とするのではなく、 景観を作るという観点から見て、 電線をなくす選択肢をもっと柔軟に、 みんなでいろいろ考えていくことが必要だと思います。

 もう一つは、 行政・事業者・住民がきちんと話し合いのテーブルに付けるかという問題です。

 電線の地中化は、 景観法が出来た関係で力が入れられるようになり、 地域で景観法に基づく一定の計画を作れば優先的に進められます。 予算が200億ほど付いていますので、 今は土木屋さんがあせっている時代です。

 しかし、 そのためには行政・事業者・地域住民が話し合いをしないといけないんです。 商店街なんかは比較的、 利害が共通するからうまく行きやすいと思うんですが、 それもけっこう難しいですね。

山崎

 しばらく前までは、 河川については安全に関わるからと行政は私たちに何にも言わせてくれなかったんです。 ところが河川法が変わってからは態度がガラッと変わって、 情報公開を積極的にするようになりました。 私は瀬田川の住民協議会に参加しているのですが、 その協議会をするときはちゃんと新聞に折り込みチラシを入れて住民に報せるし、 イメージキャラクターもあるんです。 その協議会は国交省の人、 自治体の人、 住民代表で構成されていますが、 住民だけから意見を聞く会も開かれています。 河川計画や施工は本当にガラス貼りで公開されていると感じました。 橋を架け替えるときも、 住民にきめ細かく意見を聞いていました。

 ですから、 道路もこれから変わっていくんじゃないでしょうか。 今はちょうど変わり目の時期のように思います。

弓場

 行政については情報公開制度でオープンな方向になっていると思いますが、 事業者が閉鎖的なんですよ。 ですから、 NPOを作って推進していく方法も考えられるかもしれません。


ふつうのまちのルールとは

望月(大阪大学)

 御堂筋の高さ規制が31mから変更になって以前の街じゃなくなった、 むしろ普通の町のルールにした方がいいとおっしゃいました。 普通の町のルールとは具体的にどんな考え方なのですか。

小浦

 今、 御堂筋にルールがないわけじゃないのです。 以前までは31mの絶対高さ規制を維持してきたのが、 今は敷地境界線から4m下がった所に建てて51mの高さ規制となりました。 そこから上は、 さらに10m下がって10mまでと決められています。

 みんながそうして建て替わったら、 それなりの町並みが出来ます。 問題はそうして建て替わるまで、 一体どれだけかかるのかということです。

 それに、 歴史的建造物の問題もあります。 ガスビルなどいくつかの歴史的な建物がありますが、 それを建て替えるのって変でしょう? 私はそうした建物は都市の資産として残しておきたいと思うのですが、 そうした建物は新しいルールに合わないことになります。 今のルールでは、 建物を4mセットバックしないといけませんから。

 今、 新ルールにのっとった建物は7棟だけですが、 それだけで町並みはガタガタになっています。

 では新ルールの町並み目指して今後何十年も頑張るのかと思ったら、 沿道の方々は「もっと緩和しろ」と言ってくるんです。 普通の町になったので「ああしろ、 こうしろ」がいろいろ出てくるんです。 以前の町並みであれば、 沿道から要望が出てきたときも、 その町並みを維持した上での活性化の議論が大事だと言えたと思います。 しかし、 こうなってしまうと、 「どうしたらいいんだろう」ということになってしまいます。 ですから、 経済活動としてどういう意味があるのか、 それを実現することは町にとってどんな意味があるのかを踏まえて町並みを考えなければいけない状況になったということです。 それが普通の町のルールだということです。

 そうは言っても、 やはり今は、 本当にこの51m高さのルールでこれから何十年もやっていいの?という気がしています。

山崎

 私も30年前から町並み保存に関わってきましたが、 いい町だと思っても指定を諦めた地域がけっこうあります。 地元のポテンシャルとか、 どんな経済活動をやろうとしているかで保存ができないことがあるんです。

 それとルールが厳しすぎても難しいということもあります。 御堂筋を見ていると、 ちょっとそんなことも感じますね。

 さて、 今日は参加者も多く、 議論もまだまだ続きそうで、 これも小浦さんのお人柄かと思います。 残念ながら時間となりましたので、 今日は終わりとさせていただきます。 ありがとうございました。

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