実測術
あとがき 宮脇檀さんへ感謝を込めて
ことは、宮脇さんの「デザインサーベイをやる!」という一声で始まった。それ以来、倉敷を皮切りに、馬籠、五個荘、琴平、稗田など、各地の集落を測り、図面化する作業を続けてきた。その時はまだ、デザインサーベイという調査が学問的に認知されていたわけでもなく、また研究方法が確立されていたわけでもなかった。それなのに、私たちはそのような分野に何のためらいもなく足を踏み入れてしまったわけである。今になって考えれば無謀としか言いようがない。しかし、私たちの心と体を動かしたのは、「そこに美しく、心優しい人々が住む集落があり」それを実測する作業が「おもしろそうだ」という単純な理由であった。皆、ひたむきに集落の中を巻尺を持って走り回り、深夜まで図面の清書に力を注いだ。例えそれに意味がなかろうと、結果が見えなかろうと、われわれには問題ではなかった。なぜなら、私たちが想像した以上に集落も、住民の人たちも、そして測る事も私たちを魅了するに十分なものを秘めていたからである。
デザインサーベイ華やかなりし頃、幾つかの大学が集い、何回かシンポジウムを開いた。その集まりに学生の陣内さんが参加していたという。そして、嬉しいのはそうしたシンポジウムに参加していた陣内さんがその後、こうしたフィールドワークを主とした研究の道に進み、世界各地の集落を調査し活躍されていることである。
そして今回、その現役の陣内ゼミのグループと、かつての宮脇ゼミのグループとが協力してサーベイに関する本をまとめる機会を得たのは光栄の限りである。しかし、まとめるに際して私たち宮脇ゼミのメンバーは三十数年も昔のこと故、記憶を呼び戻すのに大変な労力と時間を要した。メンバーのなかには過去を思い出すために、昔の集落を訪ねていったものもいる。しかし、彼らが見たものは集落の変り様の大きさであった。道は舗装され、家々はこぎれいに修復され、農家は民宿や土産物屋に変わっていた。確かにわれわれが調査した時よりも生活は豊かになっているように見える。そうした新しい姿の集落を目の前にして、改めて共同体はどうあるべきか、伝統とは、修景とは何かという問題を目の前に突きつけられた思いであった。そして、彼らの口から出る言葉は現実にそこを調査した者でしかできない過去と現在を比較した、景観や共同体の在り方に対する地についた確かな視点であった。
最近身に沁みて感じることは、わが国には集落の姿をたったひと昔前までさえ遡ることができない村や町が何と多いことか。いざ現在の町並みの環境を論ずるにも、伝統的な町並みを修景しようにも、その「ものさし」となる資料や図面などほとんど存在していないのである。そんな時思い出すのは、かつて宮脇さんが「われわれの作成した図面は半世紀後に役立つ」と話していた言葉である。さらに今回、この本を書くにあたって私たちが実測調査した集落を訪れて感じたことは、半世紀を待つまでもなく、すでにそうした資料の必要性が目の前にせまっているという思いである。
最近、宮脇さんが残した数十冊のスケッチブックを見る機会があった。スケッチブックの一ページ一ページをめくりながら思うことは、宮脇さんにとって創ることは、「測り描く」「繰り返し描く」という飽くなき手の動きの積み重ねによって成り立っているということである。いわば、創造することはこうした手の動きの軌跡から浮かび上がってくるものであり、サーベイはこうした創造行為を増幅、高揚させるものであったのではないだろうか。一九九六年の十一月初旬、ネパールのカトマンドゥ盆地にある広場を二人で手分けして実測した。それが奇しくも宮脇さんの最後のサーベイになろうとは私自身思いもよらなかった。旅の最後の日は調子が悪いといって、一日中ホテルにいたが、それでも中庭に出てスケッチブックに鉛筆を走らせていた。帰国後病気が見つかり「具合が悪いから、実測した広場の図面の清書を手伝ってくれ」という。ある休日、代官山の書斎を訪ね、一枚の図面を額をつき合わせ、野帳と写真を見比べながら広場の北面と南面の壁面線をそれぞれフリーハンドで描き起こした。病に侵されても鉛筆を離さず、死の直前まで手を動かすことをやめなかった人であった。そして描くことも生きることも永遠にやめてしまったのは一九九八年一〇月二一日〇時五四分のことであった。
今、テクノロジーの進歩は目覚ましい。研究室や設計事務所から製図台が消え、それに代わってキーボードが置かれ、マウスが机の上を走り回っている。このような状況と死の直前まで手を動かしていた宮脇さんとを重ね合わせてみて、フィールドワークの重要性、手を動かすことの意味性、必要性をあらためて思い知らされるのである。
この書は「実測術」という題名通り、フィールドワークの技術的な部分に焦点を当てている。おそらく現在ならば優れた計測機器が手に入るから、昔より簡便に、しかも正確に実測できるだろう。しかし、われわれのやってきた「原始的な測り方」が決して劣っているとは思えない。それは、そうした行為のなかに重要な意味が隠されているからである。
この書は先程述べたように体験を通した実測の紹介が目的で、実測図を紹介するのが主旨ではないため、ここに掲載できた図面は私たちが作成した図面のほんの断片にすぎないことをお断りしておく。そのかわり、われわれが作成した図面や資料を広く人々に有効に使っていただけるように整理し、一冊にまとめて発刊する予定で現在作業を進めているところである。
最後に、われわれをデザインサーベイに導いてくれた宮脇さんに心を込めてこの書を棒げたい。これがわれわれ教え子たちができる精一杯のことであり、これがささやかな恩返しとなれば幸いである。さらに、陣内さん、そして陣内ゼミおよびOBの人たち、そして宮脇ゼミのみなさんには多大な協力をいただいた。この紙面を借りて御礼申し上げたい。
最後になったが、見落とされがちなフィールドワークに焦点を当て、こうした企画編集をしていただいた南風舎の小川格さん、南口千穂さんに感謝する次第である。なにしろ書き手が多いためその調整に並々ならぬ御苦労をかけた点をおわびしなければならない。そして出版を引き受けていただいた学芸出版社の京極迪宏さんには多大な労をおかけした。ここに御礼の気持ちを述べる次第である。
2001年4月
中山 繁信
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