はじめてのランドスケープデザイン


まえがき
 

 私は、これまでの約25年間、いわゆるランドスケープデザインの仕事をやってきた。実際に自分の事務所を持って計画や設計の仕事をする傍ら、専門学校や大学の講師も務めてきた。そういう経験の中から得たことをまとめ、ランドスケープデザインという職能の実際を、この道に進もうとする学生をはじめ、建築や土木、造園あるいは都市デザイン系の事務所の新人たちにも理解してもらいたいという気持ちで、この本を書くことにした。
 そもそも、私がこの分野に足を踏み入れたきっかけは、大学の建築科を卒業してから約3年間、道路設計を専門とする土木設計事務所に勤め、その後、ニュータウン設計からスタートした都市デザイン系のコンサルタント事務所に約6年間勤務するなかで、都市は土木と建築の設計だけでつくられるものではないと気づいたことに始まる。
 ニュータウンの計画では、まずその土地の環境調査や解析から始まり、いわゆるマスタープランと呼ばれる基本構想案がつくられる。それをもとに、宅地の造成計画や道路計画などが、土木系の技術者によって進められ、その上で、建築の技術者が建物の設計をする。
 私は、最初、土木系のスタッフとして入社したので、宅地造成や道路の設計を担当していたのだが、当時その事務所には、建物の周りや公園などの、いわゆるオープンスペースを専門的に計画する人がいなくて、そこは正に穴場であった。
 その後、自ら提案して造園学科出身者を補強してもらい、オープンスペース設計チームを結成したが、当時はまだランドスケープデザインという言葉は使っていなかった。
 オープンスペースの設計については、事務所の所長や上司からも明確な指導を得られなかったので、私たちは、イギリスやアメリカの都市計画やニュータウン計画の本を参考にしながら、見様見真似で設計を進めていった。また、アメリカのローレンス・ハルプリンやダン・カイリーらが展開する、新しいランドスケープデザインについての哲学や方法論からも多くの刺激を受けた。
 1977年、私はちょうど30歳で独立して、ランドスケープデザインを中心とする設計事務所を設立するのであるが、この言葉はまだあまり一般には理解されにくいと考えて、「造景」という漢字を事務所名に使うことにした。
 今でも、「造景って何ですか?」と聞かれることがあるが、そうすればシメタもので、「実はカクカクシカジカのことを計画したり設計したりするんですよ」と説明する機会が得られる。しかし、それがいつまでたっても続くので、最近では説明するのもやや面倒になってきた。大学で建築を専攻している学生でも、この分野に関する知識や理解が非常に乏しい。
 確かにこの分野は、扱う範囲が住宅の庭先から地球環境にまで及ぶため、何から勉強すればいいのかもわかりにくいと言えよう。私は、事務所の若い所員や学生たちに、身のまわりのすべての環境がランドスケープデザインの対象になるのであり、どうすれば少しでも住みよい環境をつくれるか、あるいは、住みよい環境を守るには何をしてはいけないかを、素直な気持ちで考えるようにと言ってきた。
 ランドスケープデザインという言葉は、まだ日本語として一般の認知度は低く、ましてランドスケープデザイナーとは、どんな仕事をする人なのか、ほとんど理解されていないといってもいいだろう。
 ランドスケープデザインなどというと、何かその専門の人が特別に訓練された創造力をもってしかできないもののように思われがちであるが、ヨーロッパの国々の美しい街並みを例に挙げるまでもなく、わが国にも、まだまだ素晴しい街並みは残っているし、心休まる自然の風景もたくさんある。そして、それらは、特殊な才能のあるランドスケープデザイナーによってつくられたものとは限らないのだ。
 私は、土木、建築、あるいは造園の設計に携わる人たちだけでなく、一般の人たちにも、総合的な環境づくりに対する意識レベルをもっと高めてもらいたいと思っている。
 例えば、自分の住宅を新築するとき、工務店や設計事務所に設計を依頼するとする。そこで、依頼された設計者はもちろん、依頼主もその家が周辺の街並みに対してどうあるべきかを、十分に考えてほしいと、私は言いたいのだ。私たちは、これを「まちづくりの作法」と読んでいる。
 喜ばしいことに、最近の新聞広告などを見ると、分譲住宅地やマンションなどを販売するために、その周辺環境の質の高さを売り物にしている物件が多くなった。つまり、建物自体はもちろんだが、付加価値としての周辺環境が良くなければ物件は売れなくなってきたということである。このような傾向は、まさにわれわれランドスケープデザイナーへの期待が高まってきたことを物語っていると言えよう。
 建築の世界では、戦後、多くのユニークな「作品」が林立するようになり、建築専門の雑誌類もそれを後押しするようになった。建築を志す学生や若い人たちの会話の中にも、「建築家○○の作品が好きだ」というような話がよく出てくるが、そこには、地域性とか環境性などに対する視点が欠落していることが多い。建築は絵画や彫刻などの純粋芸術作品とは違って、それがどのような環境に建てられているかを無視して価値判断を下せるものではないはずだ。
 そういった意味で、ランドスケープデザイナーは、アノニマス(anonymous)、つまり匿名性に対する理解が必要である。言い換えれば、デザイナーとしての名前を前面に出そうとするべきではないということだ。名前を売ろうとすれば、必然的に個性的なスタイルの「作品」をつくろうとする傾向が強くなり、その結果、周辺環境との調和を乱すことにもなりかねない。
 快適な環境をつくり、それを永く維持していく主役は、その地域の住人であり、利用者である。ランドスケープデザイナーは、その良き提案者や指導者になるべきであり、自分独自の「作品」をつくろうとするものであってはならないと、私は考える。
 本書の1〜4章は、私が日本大学芸術学部の建築デザインコースの学生を対象にした「環境論」の講義内容を整理、加筆したものであり、5章は、学生たちからよく質問を受けるので、蛇足かもしれないと思いながら、書き加えたものである。
 私の講義では、設計の実習は行わないのであるが、3章のプロセスだけを説明しても、学生たちは何となくわかった気にはなるものの、いざ設計する段になると、どこから手をつけてよいのかわからない、という相談を受けるので、標準的な街区公園の計画をケーススタディとして加えてみた。
 なお、本書で紹介する図版は、実際の仕事上の発注者や協力者との著作権の問題などを避けるため、すべて私自身が描き起こしたものである。
 本書の中には、専門的な用語や図面、あるいは技術的な内容も出てくるが、読者がそれらを理解することによって、行政をはじめとする仕事の発注者や設計者と共通言語で話し合えるきっかけになろう。そして何よりも、ランドスケープデザインということに、少しでも関心を持っていただけることを願っている。