Cコース(押小路通・姉小路通)
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ここは新風館から姉小路通に出たところにある老舗の和菓子屋さんです。 古いお店でして、 相対売りしかしないお店です。 看板にも和菓子の押し型が使われていることなどを説明しながら歩いていきました。
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その並びにある柚味噌のお店で、 本物はしまってありますが北大路魯山人筆の看板です。
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京都の町なか(上京・中京・下京・東山区の一部)だけですが、 通りに名前のついているところでは、 四つ角にこうした表示が沢山貼ってあります。 京都の町なかの住所は東西南北の通りの座標軸で表示するようになっていて、 これは姉小路が東西、 東洞院(ひがしのとういん)が南北の通りでその交点を基準にして西に入ったところというわけです。 北へ行くのは「上ル(あがる)」、 南へ行くのは「下ル(さがる)」と表示します。
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御池通から下(さが)った所にある高さ45メートルのマンションです。 最近、 45メートルまで建てられる区域が御池通から30メートルまでの範囲に狭くなったのですが、 この建物が建てられた頃はまだ奥の方まで建てられました。 これは、 その規制が変わる前に駆け込みで建てられたマンションです。
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京都では町内ごとにお地蔵さんを大事に祀ってあることが多くて、 8月の終わり頃には京都のあちこちで地蔵盆が行われます。 「お地蔵さんをさわるとたたりがある」とも言われてまして、 新しく建物を作る場合でも写真のように、 お地蔵さんだけは元の場所に祀るようにしています。 工事の間だけはちゃんとお祭りをして、 しばらくの間よそに移っていただくという手続きを踏みます。
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東洞院を通って御池通に出たところです。 これは北側の角にある元酒屋さんの建物で、 御池通にも昔ながらの建物がたまに残っています。
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東洞院を御池から北に上(あが)ったところです。 北側(写真右側)の建物は、 御池通周辺が31メートル規制の時に建てられたホテルです。 その隣の南側の建物は規制が45メートルに緩和された時に建てられたワンルームマンションで、 管理人がいないので管理が行き届きません。 こういうのが建つと地域と折り合いが持てないので、 大きな問題になっています。
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これは前の写真のホテルの向かい側にある石碑で、 日本最初の盲唖院が出来たことを表示しています。
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この辺は押小路通です。 街並みとまでは言えないでしょうが、 所々に昔ながらの民家が数軒単位で残っています。
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最近では町家を改装して商売を始めることが多くなったのですが、 飲食店を始める例が多いようです。 これは押小路のお店ですが、 御池通より南側のブロックでは、 特に多くなっています。
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長屋建ての2軒です。 町家の造りになっています。
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こういう形の建物は、 昭和初期に建てられた借家向けの建物です。 町家とは少し趣の違うスタイルですが、 こういう建物もまだけっこうあります。
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押小路にある老舗の蒲鉾屋さんです。 屋根に付けられた街灯は特定の職人さんが作ったみたいで、 この辺の建物には同じ形の街灯が20〜30ほど残っています。
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その近所にある能楽堂です。 アマチュアグループがよく使っているようです。
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京人形師の家で、 私の友達の家です。 友達(当代)のお父さんは人間国宝でした。 こういう京町家に住みながら今も仕事をしています。
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昔、 京都で一番有名だったフランス料理の「万養軒」の社長が住んでいた家です。 所有者が代わって改造されたのですが、 街並みに配慮した改造がされました。 こういう建て方をしていただくと街並みとしっくり合う例として紹介させていただきます。
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押小路から南に御池通に向かう麩屋町(ふやちょう)通で見かけた町家の表にある「ばったり床几」です。 京格子の前に取り付けられていて、 使うときは「ばったり」と倒せば座れる椅子になります。 昔はここに座ってうちわで涼みながら世間話をするという光景がよく見られました。
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麩屋町通から御池通に出たところです。 この緑で囲まれた建物が有名な「柊屋旅館」で、 川端康成が定宿にしていたことでも知られています。 御池通に面しています。
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柊屋さんの向かい側にある建物で、 坂倉準三が設計したメゾネットのアパートです。
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御池通から南に向かう寺町通に入った所にある「竹苞書楼(ちくほうしょろう)」という有名な古本屋さんです。 和綴じの古本が沢山あり、 ここぐらいしか置いていません。
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寺町と姉小路の角にある鳩居堂の本店です。 ここから姉小路に入りました。
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姉小路では、 10年間に限られていますが、 「景観環境整備事業」として地区の景観に合う改装をすると市と国から補助金が出ます。 この民家はその制度を利用して二階部分とガレージ(写真には写っていませんが民家の左側です)を直しました。
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その並びにある「河道屋蕎麦ぼうる」と日本画の画材屋さんのお店です。
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姉小路は建築協定を結んでいる地域ですが、 その精神を現代版「町式目」という形で文章化しました。 それを何カ所かにこういう立て札の形で掲げてあります。
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これは建築協定区域を示す看板です。 姉小路を中心に南北の地域も少し含んで建築協定が結ばれていて、 「姉小路界隈地区建築協定区域」として認可されています。
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姉小路を案内していただいた市古さん(姉小路界隈を考える会会長)のお店の看板です。
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これは茶道具のお店です。 表示はありませんがショーウィンドーの中に茶釜と茶花が活けてあるので、 茶道具を扱っているお店だと分かります。
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これは先ほど紹介した整備事業の補助金制度を利用して表構えを直された例です。 元々は昔ながらの京町家だったのを表だけ別の形にするいわゆる「看板建築」だったのですが、 それをやめて昔風のファサードに戻したという例です。
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手前に見える石原と書いてある建物は黒沢明が定宿にしていた旅館です。 背後の巨大な建物が御池通に建った高さ45メートルのリクルートのマンションで、 こういうのが建つと街並みが大変なことになるのがよく分かります。 リクルートのマンションは鹿島建設の施工でしたが、 名前を出すと叩かれると思ったのか最初は下請け会社の名前で工事していました。 途中から恐る恐る鹿島の名前を出してきて、 キタナイやり方をするもんだなと思いました。
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これは町家をお店にした例で、 自分の所を改造して食べ物やさんをやっておられます。
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姉小路から堺町通を上ったところにある建物です。 左側の賃貸マンションと右の民芸品店が町家を意識したデザインになっています。 左右とも同じ所有者です。
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右は文化博物館の東側です。 姉小路側は新館ですが、 三条通に回ると旧日本銀行京都支店の建物がありまして、 そこは今年の春から開放されて中が見られるようになりました。 以前は入館料を払わないと中に入れなかったんです。
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明倫(めいりん)校に来る途中に見かけた町家で、 この地域にはまだ何軒か残っています。 裏側にマンションが建つと、 こういう景観になってしまうんですね。
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今は「芸術センター」になった元明倫小学校です。 元々は「番組小学校※」として創られたもので、 その後も室町の問屋さんたちが自分たちの子どもの教育のために多額の寄付をして建て替えたりしたものですから、 非常に立派な建物です。 ここに限らず、 番組小学校は今ではとても出来ないような立派な建物ばかりなんですが、 残念ながら、 学校の統廃合でどんどんつぶされていっているのが実情です。 こういう形で転用できたらいいのですが、 黙っているとつぶされていってしまいます。
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※:明治初頭の京都の町なかでは、 お町内(町内会)を束ねた自治単位の名称を文明開化風に番号表記していた(例:上の三番組)が、 その番組ごとに町衆が資金を出し合って1、 2年の間に次々と小学校を設立した。 こうして創設された小学校を「番組小学校」といい、 ほとんどが創立130年以上の歴史を持つ。 |